【2024最新脱臼マンの図】
先日、鳥山明先生の訃報があった。
私は子供の頃から当たり前にドラゴンボールがあった世代である。
逆に、鳥山先生が現れる前の時代を知らなかったから、その影響力の大きさを知らずに過ごしていたと思う。
今考えると贅沢だけど、漫画界の歴史を変えた~等とサブカル的な先入観を持たず、素直な子供の心で作品に触れられて良かった。
個人的にはカラーイラストが好きだった。
デフォルメされていて愛嬌たっぷりで、しかし緻密に描き込まれている絵。その緻密さがあるから、キャラクターも、ドラゴンなどの空想上の生き物も、生き生きとしていて、容易にイマジネーションの世界に自由に浸ることが出来た。
平たく言うと見るだけでわくわくする絵だと思っている。もちろん足許にも及ばないけれど、自分も思わず何か描きたくなるような、創作意欲を刺激するロマンのある絵。
ドラえもんとかと同じくらい当たり前に存在していたから、正直に言うと私の中では一番好きな漫画家、という訳ではない。
でも鳥山明先生の作品は確実に私の漫画的な思考に根付いている。自由で柔軟な想像力、そしてそれを現実世界に描写する表現力………あんな人は今後もなかなか現れないのだろうな。
X(Twitter)でもフォロワーさん達がとても悲しんでいた。
私は著名人の訃報は、家族や友人との別離とは違う種類だと考えている。
著名人は、媒体を問わず、その活動によって私達の想像力の世界を拡張してくれる存在である。様々な媒体で私達はその表現を受け取り、咀嚼して、自分だけのイマジネーションの世界を構築し、思いを巡らせる。だから、好きな著名人が現世を去ったら、自分の中に広がっている大切なイマジネーションの世界に、ぽっかりと穴が空いた様な気持ちになる。
鳥山明先生の人となりさえも私はよく知らないけれど、その絵を見ていると「どうしたらもっと面白くなるかな?」「こうしたらもっとかっこよくなるぞ」とガリガリ描いている姿が想像出来る。創意工夫以外のなにものでもない。ロマンのある絵、というのは描き手のそういう工夫が生み出すのだろう。常に我々、見る人の事、受け手側の事を考えて、想ってくれていたのだろうなあ。
という事を考えながら描いていたら、ものすごい筆が乗ってしまい二日くらいで描いたのが最初の絵です。今はなんだか穴が空いた様な気持ちになるけれど、私のイマジネーションの世界はこれまで取り込んだ作品と共に、これからも何かを取り込んで広がっていく。
表立って追悼出来る程の故人への知識は私にはない。でも私の中では、これは故人を想って描いた絵なのである。
【線画】
合掌。